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スイスの医学部教育は6年間であるが最初の1年はこれまで通りの教育システムをとっている。その理由は第1学年は学生数が非常に多いからである。スイスの大学は高校からの入学に厳しい入学試験を設けていない。しかし、最初の1年が終わる時点の試験は極めて厳しい。ジュネーブ大学医学部では40%程度の学生しか進級することができない。この時点の試験を合格できなければ脱落していくしかない。フランスではさらに厳しく10%前後の学生しか進級できずに脱落していく。驚くことはない。厳しい選別を受けるのは当然のことだ。
歯学部教育の方向
北欧で歯学部を廃止しようとする動きがあったことは知っている。マルメ大学歯学部はProblem based leraning を取り入れ、従来とは違う教育を行うということを打ち出して廃校からの危機を脱することができた。こうした歯学部の統廃合の動きや歯科医師数を減少させる動きがある。
スイスの大学歯学部は3個所あるが、将来的には統合され少なくされるだろう。ある歯学部は一学年20名である。これは統合させていかなければならないだろう。
基礎医学を医学部も歯学部も2年間教育されるが、医学部・歯学部は基礎医学について同じ教育を行うようになってきた。歯科医師は従来自分たちは医師に比較すると劣っているという認識があって、自分たちは本当に医師なのだろうか? 歯科医師は単なる技術職なのだろうかというIdentityの欠如が見られていた。そして自分たちは医学とは異なり科学的ではないのではないかと思っていたようだ。
以前なら技術職として歯をつくるだけでよかったかもしれない。しかし最近では歯科医師が取り扱う対象は口の中だけの知識に限ることができなくなってきた。歯科医師には多くの疾患を抱えた患者たちを治療しなければならない状況が生まれている。高血圧・心臓病・C型肝炎があるからといって治療を拒むことができるだろうか? 今では多くの人たちが様々な薬剤を常用している。人間の全身について人間の病気について医学の知識がなくて歯科治療をしていいのだろうか?
歯学教育における新しい教育システムが含むべきことは以下の要点である。
1)システムとしての人体の認識についての教育。
2)検査、診断、治療についての教育。
3)救急処置法についての教育。
4)予防医学についての教育。
5)麻酔についての教育。
6)種々の歯科処置方法・手技についての教育。
7)全身的な問題のある患者の歯科治療上必要なことについての教育。
8)関連医師との対応の仕方についての教育。
9)何を学ぶべきかについての教育。
10)病態のとらえ方、問診の仕方、コミュニケーションの取り方についての教育。
11)検査のオーダー法、医療スタッフと有効に協力していく方法、予算の取扱、また同僚との接し方についての教育。
基礎医学と臨床医学の統合
基礎医学者も臨床医も、ともに基礎医学が臨床にとってどれくらい有効なのか役に立つのかについて知らない。臨床医学において問題となる病態を解剖学だけで生理学だけで組織学だけで理解し解決していくことができるだろうか。現在では分子生物学・免疫学の知識なしに感染について考えることはできない。この分野の教育が十分行われているだろうか?
臨床医学において医学教育において基礎医学と臨床医学とは統合されなければならない。この「基礎・臨床の統合による医学教育」は約20年前からアメリカで始まった。そしてようやくヨーロッパへ普及し始めている。日本やアジアはさらにヨーロッパから遅れてしまうだろう。
現在は、基礎医学と臨床医学とが一緒になって人間の病気について研究していく時代である。なにが臨床医学では必要とされており、基礎医学はそれについて臨床と一緒に研究していくことが重要なのである。
解剖学の教授は解剖学の全ての知識の中のどれが臨床において必要なのかを知っているだろうか? どれが臨床において重要な筋肉であり神経であるのか知っているだろうか? 解剖学のすべてを網羅して学生に講義してどれだけの知識を学生は受け止めることができ、その中のどれくらいが医師としての必要な知識なのだろうか?
医学部教育において基礎医学のすべてを網羅する必要はない。基礎医学者は医師として有能であるためには何が知識として必要なのかについて臨床医とともに検討しなければならない。
重要なのは学生たちに病気の概念について解剖学だけでなく生理学だけでなく生化学だけでなく「それらが統合された知識」として解釈できるようにすることである。
これからも人類には新しい疾患が現われてくる。その際に、これについて何を知るべきか、どのように考えるのかという思考方法や、それをどのように治療し具体的にはどのような薬剤治療や手術が必要なのかという対処方法を考えさせ、さらにそれを発展させる能力を身に付けさせることである。
統合教育のシステム作り
臨床における患者の問題を把握するためには、解剖学も生理学も生化学などのすべての基礎医学は、例えば頭痛の病態を前にして何が問題でそれを理解させるためには自分たちが何を学生に教えることができるのかについてお互いが知らなければならない。
分野別や臓器別に教えていくのではなく、ある問題についてそれを教育するグループをつくりその中でリーダーを決めて問題点を統合的に意見調整しながら教育していかなければならない。その意見調整のためのミーテイングが必要となってくる。
それは大変な時間を要すると思うだろうが、時間をかけて待っているわけにはいかない。期限は限られておりまず選別を受けた第二学年の教育プログラムを考え、それを実践し、その間に彼らが次に進む第三学年の教育プログラムを計画し、その次の段階を考えてきた。これは学長の強力な指導力と改革しなければならないという医学部教官たちの意思が必要となってくる。そして、必要なのだということを教官たちに啓蒙しなければならない。
改革は、つまり形態面、機能面、生理面を統合的に学習させることであり、これまでの医学教育システムでは第一学年で解剖学などの基礎医学を教える。最終学年の臨床実習の頃には解剖学についての知識を忘れている。むしろ解剖学を教える時に、患者を診察させ臨床的な問題も一緒に教育していく方が教育効果は高い。
治療のためには必要のない知識は教える必要はないし、それが必要な時は彼等自身が既にその知識を得るためにはどうしたらいいのかという知識獲得のための手技を身に付けている。
教育方法
例題:高血圧の74歳の女性がいて頭痛に苦しめられている。この患者には時に狭心症状も出現しておりそのための薬剤の投与も受けている。心臓疾患による死に対する精神的な不安感も強い。この患者が胃潰瘍を発症して治療を行わなければならない。
この症例について学生に提示し、その週はこの患者についての教育を行う。
まず、
1.この患者では何が問題点であるのかについて詳細なリストを作成する。
2.上記1について、形態、機能、生理、生化学、脳外科、内科、心臓外科、消化器外科などのすべての分野からなにを教えることが可能で何が必要か、そしてそれは誰が教えることができるかのリストを作成する。
3.次に、この病態を把握し治療するためにはどのようなことを知らなければいけないのか関連したキーワードのリストを作成する。
学生教育は教授だけが行うのではなくて、すべての教官が有効に学生教育に関る必要がある。これまで教育については予算が用意されたことはなかった。大学の運営と研究に予算を使っていた。しかし、これからの大学は教育することを各分野の教授に一任するのではなく意見調整し統合して教育することを推し進めるための組織を作り、新しい教育システムの必要性を教官に普及させ、合意を得て医学教育を変革させて行かなければならない。そのための予算も必要になってくる。教育システムやカリキュラムは一度決められたらそれで終わりというものではない。常にシステムの問題点を把握して改善していく努力を続けていく必要がある。
小人数の学生グループには一人か問題によっては二人のチューターをつける。チューターはどう勉強していけばいいのかを教える。
臨床実習は早期から開始される。第二学年から臨床実習を始める。その前に段階的な方法があるのは当然であり、
第一段階:デモンストレーションを行い、モデルを示す。
第二段階:模擬的に人形などを用いて治療を行う。
第三段階:指導教官のもとで治療を行う。
以上の3段階を行う。
地域社会での臨床実習の重要性
地域の病院との連携は非常に重要になってくる。なぜなら、大学病院の患者は減少しており、しかも病院は2次3次の高度医療であって初歩的な治療(Primary Care Medicine)を学生に教育していく場としては適当ではない。しかし医師たちのほとんどが将来従事するのは高度医療ばかりではない。初歩的な医療の教育が重要なのである。大学で初歩教育を行うよりも、むしろ学生たちを地域の病院へ連れていき教育することが望まれている。その研修病院を増やしその病院のスタッフの教育も必要になっている。
そして地域での医学教育を通じて学生たちは「地域社会が何を医学に求めているのか」、そしてそれに対して「大学として何をすることができ、何をすればいいのか、なにを学べばいいのか」という社会の必要性を知ることができる。
これからはこの大学と地域社会との関連が非常に大きな教育上の問題となり、また、この問題を認識せずに医学教育を行うことは現実の社会の要望を知らずに現実とはかけ離れた教育が行われることを意味している。
医師が求められているもの
社会保険制度も問題となってくる。現在の日本では政府が保険を統括しているようだが恐らく将来には保険会社が医療保障を行うようになると思う。保険会社は医療の質の向上を求めてくる。この問題に直面することになると思う。保険会社は有能な医師・病院での治療を要求してくる。これに対応するためには医師のトレーニングとそれによる専門医制度の成立が不可欠となる。
医師の技量は、これを怠ると劣ってしまう。つまり外科医であっても手術を稀にしかしないようでは技術は忘れられてしまい常に外科手術の研鑽に励まなければ外科医とは呼べない。医師の技量は常に進歩し進歩を求められている。こうした医師・病院でなければ保険制度が企業が行うようになった時に保険を適用されない医師・病院になってしまう。
医師に求められているのは、臨床医としての
1)医療技術
2)コミュニケーション能力
3)診断・治療遂行能力
である。
コミュニケーションは現在の医師ではまだ不十分である。患者は知りたいことの半分も知らされていないし、医師はどうすれば患者が知りたがっていることを聞きだすことができるのかを知らない。問診の進め方や患者や家族との接し方、何を聞けばいいのか、どうすれば知りたがっていることを聞きだすことができるのかを、臨床経験から知るのではなく、その技術を教育される必要がある。
医療スタッフの職種の認識、医療を取り巻く法律や、経営に関する知識、つまり医療を取り巻く環境についての教育をし、それざれのスタッフがどのような役割をするのか、どのように医療に関りチームとして働くのかを教育しなければならない。
医学教育上の問題点
現在の医学教育にはこれまでのテキストがまだ使われている。しかし内科学や一部の領域では新しい教育システムに沿ったテキストが作られている。例えば、それは「痛み」の項目で一つの章が設けられ、それが解剖学的に生理学的に臨床的にあらゆる分野から統合的に解釈説明され記述されている。従来のような臓器別にはなっていない。しかし当面の医学教育は従来のテキストを用いて、その「統合」は頭の中で行わなければならない。
教科の中には問題のあるものもある。例えば解剖学の研究は現在は行われていない。解剖学教室で行われている研究は解剖学ではなくて分子生物学であったりする。解剖学はおそらく将来には他の教科に吸収されてしまうと思われる。それは放射線学や外科学ではないだろうか。そうなると解剖学は形態学だけでなく「Functional anatomy 機能的な解剖学」となるのではないだろうか。
解剖学実習の形態も変わってくると思う。CTやMRIの読影の学習のために多くの人体の断面標本が様々な角度から作成され、臨床に必要な解剖学が教育されるだろう。そして、医学教育の中での人体解剖の必要性は薄れ行われなくなる可能性もある。そもそも、学生実習の場で人体のすべての個所を解剖することなどできない。解剖学的知識は臨床を目的とした臨床解剖学としての存在価値が注目され関連した領域での教育の場で行われることになるだろう。例えば整形外科での股関節脱臼の治療についての際にその分野の解剖学が教育される。
医師としてのCertificationの問題
ドイツやドイツ圏のスイスでは今なお古いしきたりの中に医学教育が行われている。日本ではこうした医学教育の変化についての知識は普及していないと思う。以前、日本で対話したことがあるが日本ではこうした医学教育の改革は難しいだろうと言っていた。
中国での医学教育には大きな問題がある。「裸足の医者」という存在がそれを示している。こうしたアジア諸国での問題点はCertificationの問題である。米国で行われているようなレジデントと呼ばれる十分な臨床研修を受けていない医師は「医師」ではない。
1)卒業後にどのくらいの期間の臨床研修を受けたか。
2)臨床研修を指導したのは誰でどこの病院であるか。
3)研修終了後に認定されるための試験が行われ合格しているかどうか。
以上の3点が問題とされる。これらを十分に満たした医師こそが「医師としてのCertification(資格認定)」を受ける。医学部を卒業しただけでは医師であるとは言えない。
米国では、研修病院については5年毎に患者数や研修のための予算、病院施設が研修を行うに適切であるか否かの視察が行われている。このような外部の組織・委員会による施設の監督も研修医制度が適切であるか否かの重要な問題である。
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